アレクサンダー・アースキン (第5代ケリー伯爵)
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第5代ケリー伯爵アレクサンダー・アースキン(英語: Alexander Erskine, 5th Earl of Kellie、1756年4月3日没)は、スコットランド貴族。1710年までフェントン子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第4代ケリー伯爵アレクサンダー・アースキンとアン・リンジー(Anne Lindsay、1674年5月20日洗礼 – 1743年2月4日、第3代バルカレス伯爵コリン・リンジーの娘)の息子として生まれた[1]。1710年3月8日に父が死去すると、ケリー伯爵の爵位を継承した[1]。
1745年ジャコバイト蜂起でジャコバイトを支持したため、1746年7月11日に出頭を余儀なくされ、1747年恩赦法(Act of Indemnity 1747)でも対象外にされた[1]。しかし、エディンバラ城で投獄されるだけで起訴されることはなく、1749年10月11日に釈放された[1]。
1756年4月3日にケリーで死去、息子トマス・アレクサンダーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1726年、ルイーサ・マリ(Louisa Moray、1729年11月11日没、ウィリアム・マリの娘)と結婚した[2]。1731年10月、ジャネット・ピトケアン(Janet Pitcairn、1775年6月7日没、アーチボルド・ピトケアンの娘)と再婚、3男3女をもうけた[2]。
- トマス・アレクサンダー(1732年 – 1781年) - 第6代ケリー伯爵
- エリザベス(1794年11月2日没) - 1760年4月23日、ウォルター・マクファーレン(Walter MacFarlane、1767年6月5日没)と結婚。1768年10月1日、第7代クーロスのコルヴィル卿アレクサンダー・コルヴィルと再婚
- アン(1735年2月18日 – 1802年3月18日)
- アーチボルド(1736年 – 1797年) - 第7代ケリー伯爵
- アンドリュー(1793年没)
- ジャネット(1770年10月14日没) - 1763年8月18日、第3代準男爵サー・ロバート・アンストラサーと結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 102–103.
- ^ a b "Kellie, Earl of (S, 1619)". Cracroft's Peerage (英語). 9 September 2004. 2019年11月23日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 アレクサンダー・アースキン |
ケリー伯爵 1710年 – 1756年 |
次代 トマス・アレクサンダー・アースキン |